先日、
一ノ坊リゾートの高橋先輩と
同級生の嶋津くん、藤井くんと鬼首高原でキャンプ。
仕事の話し、遊びの話し、ちょっとマジメな話しをたくさん。
そんな中、高橋先輩から一枚のコピーをいただきました。
このような内容です。
いいリゾートの条件
いいリゾートとは、ひとことで言って、個性のはっきりしたリゾートである。
つまり、そこに着いた瞬間に、どんな時間を過ごしたいかがくっきりとイメージできるようなところ。
リゾート造りとは、ある意味でひとつの「独立した世界」をつくることであり、「時間」をつくることである。
お客様とは、その「時間帯」に居合わせる一時的な個人である。
それも、非常に勝手で、わがままな。
人々はどこの「時間」に属するかは、まったくの自由意志で選べるし、
いやになったら直ぐに出てゆく自由だってある。
リゾートという「不思議の国」において、「国民」は、すこぶるわがままで、しかも贅沢な望みを持っている。
ここでは、「国民」は、平等も機会均等も何も「国」に対して求めはしない。
ただ、ただ、お金をかけてわざわざやってきた自分だけ(他の人がどうだなんてことは関係ない)を満足させてくれれば、それでいいのである。
その点が、リゾート造りにおける、集団合議制や多数決の意味のなさにつながる。
関係者それぞれの顔色を見ながら、あっちを立て、こっちを立てしながら、少しづつみんなの意見を取り入れ、
根回しや度重なる意見調整によって、突出した意見はどんどん削られ、
どうにかみんなが「まあ、いんじゃない」と賛成するところまでこぎつけたようなリゾート(日本のリゾートのほとんどがそうだが)、
そんなリゾートに、いいリゾートはありえない。
「まあ、こんなもんか」くらいのそこそこの満足感は得られても、「ああ!こういうところに来たかった!」と感激させるような、極めつけのリゾートにはならない。
それよりも誰か1人の非常に個人的な主観と趣味によってつくられたリゾートの方が、純度と完成度が高く、個性的で傑出したリゾートができる。
ただ1人、全体を見る目を持ち、庭の木1本、バスルームのコップ1個、なぜそれでなければならないのかを、確固としてわかっている個人。
個性のあるリゾート「不思議の国」は、常にそうした「独裁者」によってつくられてきた。
その通りだと思う、そして今までそうしてきた。
でも、何かが違う・・・
そうそう、それは、私の中の熱い熱い想い
もっともっと、自分を磨こう、
そして、自分の納得する宿、お店をつくっていこう。
とても強く感じた一日でした。
ひっ君ありがとう!
Shinji Omiya.